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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2009年08月24日

フルボッコ

されてきましたよ。


面接試験で。


でも、まあ気持ち的には晴れやか。


細かなことは追記にでも。


まーでもこれで、夏休みの最大の難関は終わったので


一息つけるか。


28日はやけ食いかな?  続きを読む
タグ :大学院


2009年07月22日

羅喉の来たりしこと

今日の日食。見逃しました。


てか、集中講義だったし曇天だったからいずれにしても無理だったか。



で、その集中講義。


DQ9をやってるDS野郎がかなり目についてむかついた。


家でやれ。


タイトルの羅喉(ラゴウ)とは想像上の星の事。
古代インド天文学・占星術(この二つは厳密に区別されていなかった)では
9つの天体があるとかんがえられていた、それを九曜というんだけど、七曜(日・月・火・水・木・金・土)と羅喉と計都(ケイト)の9つね。
これが中国に伝わり、字化され、日本に来て、宿曜道(すくようどう)とよばれてた。


この羅喉は悪星とされ、この星が太陽や月を喰ってしまうため、日食・月食が起きると考えられていた。
計都は彗星をさしてるとされて、これも悪星。(逆転してることもあるけど)


なので、かつての日本では、日食とか彗星は素敵な天体ショーではなく、
社会が大混乱になるほどの凶事だったんですよ。日月食・彗星を見る=死亡フラグな勢いだったとか。


まあ、近代になってもハレー彗星で地球が滅びるとか言ってたみたいなので、つい最近まで凶事だったようですね。


今では、30何万払ってでも見たい事象になってますが、時代とともに価値観が変化したいい事例ですね。  


2009年05月20日

ヒトは何故ヒト?

ってのを卒論考えてて思いました。


卒論は、「ペット」の葬儀を通して、現代の家族について考察する。
つまり、「ペット」が現在の家族に対してどのような役割にあり、ポジションについているか
ということを、「ペット」の葬儀を通して考察してみようということ。


でも、考えてみれば、「ペット」=「家族」として、表象されることが多い。
その概念以前に、「ペット」の人格化がなされているのではないだろうかって思った。


まあ、当たり前といえばそうんなんだけど、言い方を変えれば、
以前は「ヒト」ではないとされていたモノが、「ヒト」として認識され始めたということ。
つまり、境界が消えつつある。


では、その「境界」はいったい何に依拠して成立していたのか。
つまり、「ヒト」は何をもって、「ヒト以外のモノ」と区別してきたのか。
現在、ヒト‐ペット間の「境界」が揺らいでいるとすれば、どうしてなのか。


とかとか、考え付いた。
きっと、難しすぎてまとまりきれないことは、よーくわかってるけどね。
そのあたり、すこしかすりでも出来たらなーって、野心を抱いてしまうわけです。


無理かな?